2009年02月14日
はぁ?バレンタインだぁ~??
ども黒猪です
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今日は2月14日ということで世の中は
やれ「バレンタインだ!!」とか「チョコ何個もらった?」などと
浮かれていますが、何がバレンタインじゃ!!何がチョコじゃ!!
2月14日はバレンタインなどではない!!お菓子メーカの戦略にだまされるな!!
2月14日という日は、旧日本陸軍落下傘部隊が昭和17年2月14日南方最大の
油田基地があるスマトラ島パレンバンに強襲降下した記念すべき日です
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でわ旧軍のパレンバン降下について詳しく説明します
パレンバンはスマトラ第2の都市で、ジャワ海西部に注ぐムシ川の河口から
約80キロ、海洋船も入ってこられる。蘭印最大の石油基地で、石油の禁輸で
戦争をはじめた日本としては、ぜひとも早くしかも無傷で奪取したい重要目標でした。
これを守るオランダ軍は、日本軍が攻撃を仕掛けてきたならば、最悪、油田工場を
破壊するつもりでした。
それに対向するためには、敵に破壊の隙を与えない為にも、空からの奇襲にかぎると
判断されました
久米精一大佐の指揮する第1挺進団第1聯隊は、パレンバン作戦に備えて、
開戦直前の昭和16年12月3日門司港を出港したが、南方に向って航行中の
昭和17年1月3日、乗船「明光丸」は積荷の焼夷弾が自然発火して船火事を起し、
南支那海に沈没してしまった。
幸い人員は全部救助されたが、落下傘をはじめ貴重な装備資材一切を失い
挺身第1聯隊は任務遂行が事実上、不可能となった。
そのため本国で待機していた挺身第2聯隊に降下作戦の命令が。下った。
第2聯隊は、約340名の兵力でパレンバン飛行場と精油所に降下し、
蘭印軍と戦ってこれらを占領した。ついで15日に第2次降下部隊がくわわりました
彼らが頑張っている間に、第38師団の先遣隊が後から合流し、一帯を確保しました。
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こうして陸軍空挺隊の初陣は成功し、石油25万トン、連合軍飛行機数機や資材を
獲得した。
降下部隊の損害は、戦死者38名(将校2名、下士官16名、兵20名)生死不明
1名(下士官)負傷者 50名。このうち降下での戦死は二名で、1名が航空機から
飛び出した際、落下傘を引き出す紐(自動索と言います)が首に絡まり首吊り状態
になり戦死、もう一名は落下傘が開いた衝撃で止め具(離脱具と言います)が外れ
空中で落下傘と人員が分離し墜死。その他36名は戦闘により戦死されたと
記録されています。
また戦闘についても、当初の第1次降下部隊のほとんどが降下後、自分が身に着けて
降下した拳銃、手榴弾、銃剣だけで敵と戦ったそうです。
なぜそのようになったかと言いますと、当時の日本の空挺部隊は小銃や機関銃は
持って降下せず箱に詰めて(これを物量箱と言います)飛行機から投下して人員降下後、
それらを回収するという方式をとっていました。
ただ、その後、「パレンバンにおける挺身戦闘の戦訓」と言うのがだされ、コレ↓
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それ以降は、空挺部隊用の火器が開発され小銃等は持って降下
になりました。
またこの降下作戦は現地のインドネシアの方々にはえらく歓迎されたそうです
なぜならインドネシアの、ジョヨボヨ神話に
「苦しめられている民を北から来た黄色い人が助けてくれる」
という神話があり、この当時はインドネシアはまだ欧米列強に植民地化され、
搾取されていました。
ところが、北からきた黄色い人(日本人)が空から舞い降り支配者たちを追い出しました。
なので、インドネシアの方々には日本軍落下傘兵が救世主に見えたのでしょう。
ちなみにこの作戦の成功は日本でも大々的に取り上げられ、
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落下傘兵を「空の神兵」と讃えそれが題名の映画が日本映画社で作成され
その映画の主題歌「空の神兵」が大ヒットしました。
(今は新日本映画社でDVDででてます)
コレが「空の神兵」です
個人的にはすごい好きな軍歌でこれを聞くと元気が出ます。
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なのでこれからは2月14日はバレンタインデーなどではなくパレンバンデーと変えて
先人の偉業に敬意をはらう日にしましょう!!!
けっしてチョコがもらえないからといっての負け惜しみなんかじゃあ無いんだから!!
(ツンデレ風)
でわでわ 今回はこんな感じでさいなら~!!
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今日は2月14日ということで世の中は
やれ「バレンタインだ!!」とか「チョコ何個もらった?」などと
浮かれていますが、何がバレンタインじゃ!!何がチョコじゃ!!
2月14日はバレンタインなどではない!!お菓子メーカの戦略にだまされるな!!
2月14日という日は、旧日本陸軍落下傘部隊が昭和17年2月14日南方最大の
油田基地があるスマトラ島パレンバンに強襲降下した記念すべき日です
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でわ旧軍のパレンバン降下について詳しく説明します
パレンバンはスマトラ第2の都市で、ジャワ海西部に注ぐムシ川の河口から
約80キロ、海洋船も入ってこられる。蘭印最大の石油基地で、石油の禁輸で
戦争をはじめた日本としては、ぜひとも早くしかも無傷で奪取したい重要目標でした。
これを守るオランダ軍は、日本軍が攻撃を仕掛けてきたならば、最悪、油田工場を
破壊するつもりでした。
それに対向するためには、敵に破壊の隙を与えない為にも、空からの奇襲にかぎると
判断されました
久米精一大佐の指揮する第1挺進団第1聯隊は、パレンバン作戦に備えて、
開戦直前の昭和16年12月3日門司港を出港したが、南方に向って航行中の
昭和17年1月3日、乗船「明光丸」は積荷の焼夷弾が自然発火して船火事を起し、
南支那海に沈没してしまった。
幸い人員は全部救助されたが、落下傘をはじめ貴重な装備資材一切を失い
挺身第1聯隊は任務遂行が事実上、不可能となった。
そのため本国で待機していた挺身第2聯隊に降下作戦の命令が。下った。
第2聯隊は、約340名の兵力でパレンバン飛行場と精油所に降下し、
蘭印軍と戦ってこれらを占領した。ついで15日に第2次降下部隊がくわわりました
彼らが頑張っている間に、第38師団の先遣隊が後から合流し、一帯を確保しました。
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こうして陸軍空挺隊の初陣は成功し、石油25万トン、連合軍飛行機数機や資材を
獲得した。
降下部隊の損害は、戦死者38名(将校2名、下士官16名、兵20名)生死不明
1名(下士官)負傷者 50名。このうち降下での戦死は二名で、1名が航空機から
飛び出した際、落下傘を引き出す紐(自動索と言います)が首に絡まり首吊り状態
になり戦死、もう一名は落下傘が開いた衝撃で止め具(離脱具と言います)が外れ
空中で落下傘と人員が分離し墜死。その他36名は戦闘により戦死されたと
記録されています。
また戦闘についても、当初の第1次降下部隊のほとんどが降下後、自分が身に着けて
降下した拳銃、手榴弾、銃剣だけで敵と戦ったそうです。
なぜそのようになったかと言いますと、当時の日本の空挺部隊は小銃や機関銃は
持って降下せず箱に詰めて(これを物量箱と言います)飛行機から投下して人員降下後、
それらを回収するという方式をとっていました。
ただ、その後、「パレンバンにおける挺身戦闘の戦訓」と言うのがだされ、コレ↓
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それ以降は、空挺部隊用の火器が開発され小銃等は持って降下
になりました。
またこの降下作戦は現地のインドネシアの方々にはえらく歓迎されたそうです
なぜならインドネシアの、ジョヨボヨ神話に
「苦しめられている民を北から来た黄色い人が助けてくれる」
という神話があり、この当時はインドネシアはまだ欧米列強に植民地化され、
搾取されていました。
ところが、北からきた黄色い人(日本人)が空から舞い降り支配者たちを追い出しました。
なので、インドネシアの方々には日本軍落下傘兵が救世主に見えたのでしょう。
ちなみにこの作戦の成功は日本でも大々的に取り上げられ、
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落下傘兵を「空の神兵」と讃えそれが題名の映画が日本映画社で作成され
その映画の主題歌「空の神兵」が大ヒットしました。
(今は新日本映画社でDVDででてます)
コレが「空の神兵」です
個人的にはすごい好きな軍歌でこれを聞くと元気が出ます。
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なのでこれからは2月14日はバレンタインデーなどではなくパレンバンデーと変えて
先人の偉業に敬意をはらう日にしましょう!!!
けっしてチョコがもらえないからといっての負け惜しみなんかじゃあ無いんだから!!
(ツンデレ風)
でわでわ 今回はこんな感じでさいなら~!!
Posted by 黒猪CQB
at 13:54
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